金継ぎとの私の旅は、60年前の昔に始まりました。
先祖の故郷である滋賀県の彦根城に、家族連れで武士の鉄の甲冑を見せてくれまし
た。 甲冑は鉄製で、漆で飾られていました。鮮やかな赤色と表面の光沢は、ウルシ
との初めての出会いであり、やがて私を金継ぎの旅へと導いてくれました
私は東京藝術大学で、金属ワークと漆ワークと蒔絵の技術を6年間学びました。
私は最高の大学院生として「サロン・ド・プランタン賞」を受賞して卒業しました。
20 歳の時、大学在学中に武士の茶道を学び始めました。武士流茶道の練習を通して、
金継ぎをした特別な茶碗に出会い、それがきっかけで金継ぎの稽古を始めました。
茶碗は、芸術家、本阿弥光悦による 17 世紀の楽茶碗でした。この作品は、金継ぎが
雪山の輪郭を強調しているように見えたため、アーティストによって雪峰と名付けられ
ました。この雪峰は、茶碗が焼成中の窯の中で壊れた失敗作品と思われます。その
不完全な茶碗の傷に光悦が純金蒔絵の技術を使って金継ぎした作品であり、金継ぎ
が芸術に昇華した最初の作品として高く評価されている作品です
プロフィール
塚本尚司
“本物の金継ぎを芸術として認識させる
ための取り組み”
この後 50 年間、私は、光悦の茶碗「雪峰」を金継ぎの手本として、彼の究極の
技術を学び、磨いてきました。
私は今、本物の金継ぎを芸術として認識させるために取り組んでいます。また、自分
の知識を世界や若い世代に伝えることも、私の重要な使命の一つだと感じています。